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回顧録04:1989/9_SurfinLife [回顧録]

 この年から河口での砂利採取が禁止となった。それが影響してかどうかは判らないが、河口が東の堤防沿いから西へ移動し、大橋の中間付近に移動した時期であった。
 このセッションは、1989年6月15日から始められた。サーファーは、添田博道さん、新居秀男さん、そしてカメラが土屋高弘さん。これに赤やん、公平さん、植田さんも加わった。あとまだスタイリッシュの赤やんのところでお世話になっていた吉次くんもいたと思う。
 波は最大で4feet程度と少し拍子抜けで、プロ達は少し残念がって帰っていったと思う。しかし、波のサイズが大きくなりすぎなかったことから、多くのローカルも混じって海の中はとても熱かった。
 私は大学5年生で、最後のサーフィン三昧の生活をしていた時期だったと思う[手(パー)]
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サーフィンライフ1989年9月号

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いつもかっこいい博道さん

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いい波に乗っていた赤坂谷さん

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新居秀男さん

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公平さん

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植田さん

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きわどいラインは佐藤幸夫、バックサイドアタックは大谷幸三

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今回多くの写真を残した地元の西川徹。高知の大学生サーファーだが、いい波をつかむ方法はプロに負けず身につけているようだ。やはりわずかな経験だけでは簡単に味わえないのがリバーマウスの波の力だ(キャプションより)

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この年のJPSAチャンピオンは糟谷修自さん?

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この年の高知支部予選通過は、BOYS吉田武史、上村徹、JUNIOR西田弘人、Jr.MEN蔵下幸生、Sr.MEN門多洋佳ポイ!

回顧録03:1987/11_TAKEOFF [回顧録]

 TAKEOFFはもう既に廃刊となってしまって時間が経つが、関西方面のサーフィンカルチャー誌である。私はなにげなく西日本に特化したこの雑誌が好きだった。
 東洋町生見アマチュアサーフィン選手権大会。私はこの大会とは愛称が良く、優勝など良い成績を残せていた。
 第二回大会では、スペシャルクラスで優勝。アマチュアの四国地方のメジャー大会での初優勝で、関西方面の強豪を押さえての優勝でとても喜んだのを覚えている。
 記事の中では、「優勝した西川徹の作戦は、アウトサイドのセットだけに絞られていた。2位の柏村、3位の阪田などはいつもと変わらないいい感じのサーフィンを見せていただけに惜しまれる。柏村らよりもポイントを知り尽くした上での勝利だったと言えるだろう。」と、ダークホースが勝った感じと紹介されている。
 まあ、自分でも勝てたことが不思議であり、また嬉しかったものである[わーい(嬉しい顔)]
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懐かしいTAKEOFFの1987年11月号

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第二回東洋町生見アマチュアサーフィン選手権大会

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スペシャルクラスのファイナりスト

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セットだけに照準を絞ったのが大ヒットだった優勝の西川徹

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生ちゃんは若くてきれい、TSSCの小野さんも若い[わーい(嬉しい顔)]
 

回顧録02:1989/12_SurfingWorld [回顧録]

 この年は、ホームブレイクがいまひとつで東方のポイントが良い波がブレイクしていた。このセッションでは、多くのプロ達が参加。添田博通さん、今須さん、杉本忠昭さん、谷口崇くん、関野光延さん、本荘睦くんなどが来られていた。また、沖縄の仲地悟さんも一緒に入っていたのを覚えている。
 私はといえば、バックサイドのチューブが入れず、苦労していたのを覚えている。また、佐藤さんは、掘れた波での突っ込みが光っていた。そして板を折っていた[わーい(嬉しい顔)]
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サーフィンワールド1989年12月号:カバーの上半分は東方ポイントでの本荘くん

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博道さんの黄色のショートジョンがかっこよかった

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右側が佐藤幸夫のつっこみ

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今須さん

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光延さん

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来春日本で有数の地質研究会社に入社するというローカルの西川徹

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本荘くん

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RASHの広告は光延さん

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生見でのJPSAの優勝は福田義昭さん

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1989年秋のJPSAプロクラストライアル合格者
 

回顧録01:1988/12_SurfingWorld [回顧録]

 1988年は長雨で全国のどの河口も良い地形が形成されていたようである。9月中旬の台風18号は、10年振りと言われる東うねりが入り、ホームブレイクは8~10feetのレフトブレイクが出現。博通さん、蛸さん、久我孝男さん、谷口崇くんが来てセッションとなった。
 この時はまだ東の堤防沿いに川が流れており、砂利採り船も稼動していた時期である。
 孝男さんはJPSAのチャンピオンとなった時で、崇くんも上位入賞していた時期だったと思う。また、博道さん、蛸さんも若くかっこいいサーフィンをしていた。
 私は、まだプロ達とのセッションに慣れていなかったのと、波のサイズにびびりながらもドキドキワクワクして時間を過ごしていたのを覚えている。また、きくちゃんも元気いっぱいだったなあ~[わーい(嬉しい顔)]

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サーフィンワールド1988年12月号:カバーはホームブレイクでの孝男さん

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この当時ホームブレイクはある川の河口として紹介されていた

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博道さん

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蛸さん

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孝男さん

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崇くん

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佐藤幸夫

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ボーズ頭が一目でローカルとわかる西川徹

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DOVEの広告

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JPSA初のウェイブプールでの大会は今村大介が優勝

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1988年のJPSAツアラー


回顧録:ホームブレイクの歴史を綴ろう [回顧録]

 古いサーフィン雑誌の整理をした。1988年(昭和63年)以降のホームブレイクがフューチャーされたものばかり。数えると40冊を超えていた。これらの雑誌は、ホームブレイクの歴史でもあり、私個人のサーフィンの記録でもある。
 歳もとってきたので回顧録を作成する意味で、古いものから少しずつ当時のホームブレイクの写真を中心にWeb上で整理することにした。かなり手前味噌的なものである。また、記録なので実名のまま整理することにしている。
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ホームブレイクがフューチャーされている古いサーフィン雑誌(宝物~[わーい(嬉しい顔)]

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懐かしいTAKEOFFもあった[がく~(落胆した顔)]

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